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炎上しがちなBL・腐女子の定義について

今更聞けない、なんとなく理解した風になっていた「BLの定義とその歴史」

人の数だけ解釈があり、共通認識を定めることは極めて難しいと存じますが、無い頭を振り絞ってまとめてみました。

 

 


1.BLとは

 そもそもBLとは何であろうか。
 ボーイズラブの略語ではあるが、その定義は人それぞれ異なる。
 性描写がなければBLでないと主張する者、ティーンの美少年同士であることを信条に掲げる者、片想いに終わってもBLだとする者、自分の思い描いた組み合わせでなければBLでないとこき下ろす者、実に様々な解釈が存在する。

 ここでは恋愛感情に限定せず、BLを「二人以上の男性間で生まれる熱い関係」だと広く定義したい。「ブロマンス」と呼ばれる兄弟のように親密な友情以上の関係もBLとみなすことにする。なぜなら本来性愛が存在しないはずのところから、己の想像力で関係性の余白を補完していくのがBLの醍醐味でもあるからだ。漫画やアニメの二次創作、アイドル、お笑い、スポーツ、歴史上の人物……各領域において、時に身を潜めながら「BL萌え」する人たちは生息している。

 「萌え」の定義も時代や個人によるが、ここでは「かわいい!愛おしい!好き!」などのパッションを感じたら「萌え」だとする。近所の男子高校生たちの何気ない会話だって、鉛筆と消しゴム、コンセントとプラグのような無機物同士だってBLと見て好ましく感じることはできる。
 このBLと読み替える行為は対象の如何に関わらず、眼差す側であるBLファンコミュニティの認識に由来する。「BL読み」について語る前に、まずはBLの歴史と言葉の使い分けについて整理しよう。

 

2.BL用語の変遷(「同性愛文学」「少年愛」「JUNE」「やおい」「商業BL」)

 男性同士の関係に萌えを見出して尊ぶ文化そのものを総称して「BL」とすることが多いが、細かく区分するならば「同性愛文学」「少年愛」「JUNE」「やおい」「商業BL」など多岐に渡る。改めて言葉の定義を問いたい。

 「同性愛文学」は同性愛をテーマにした文学作品の総称である。オスカー・ワイルドの『ドリアン・グレイの肖像』(1890)やヘルマン・ヘッセの『車輪の下』(1905)、トーマス・マンの『ヴェニスに死す』(1912)、ジャン・コクトーの『白書』(1928)、三島由紀夫の『仮面の告白』(1949)などが挙げられる。女性が主に文化の担い手であるBL*1 とは分類上別物とみなされるが、無関係ではない。
 たとえばペールフィットの『特別な友情』(1944)は、映画悲しみの天使として日本でも公開され、萩尾望都の『トーマの心臓』(1974)や竹宮惠子の『風と木の詩』(1976)に大きな影響を与えている。
 『一度きりの大泉の話』によると、萩尾(2021)は影の立役者・増山法恵から誘われ3人で映画を見たという。「1971年2月頃でした。吉祥寺の映画館に『悲しみの天使(寄宿舎)』という映画がかかり、増山さんに誘われて竹宮先生、増山さん、私の3人で観に行きました。」(p.65)
 『トーマの心臓』執筆の動機についても「自殺した少年が可哀想で、残された少年も可哀想でした。どうすれば自殺せずに済んだのか? どうすれば行き違いが起こらなかったのか? ずっと考えてしまい、それで私は映画の後に『トーマの心臓』という作品を思いつき、原稿用紙に描き始めました。」(p.68)と、悲しみの天使からの連想を語っている。

 少年愛は1970年代から日本で流行した少女漫画のジャンルであり、現在に繋がるBLの祖とされている。竹宮惠子著『少年の名はジルベール』(2016)よると「少年愛」の定義は「同年齢、あるいは年齢の近い少年同士に成立する恋愛」(p.40)だという。古代ギリシア少年愛のような、年長男性と少年の間で成立する制度とは異なることに注意が必要だ。
 竹宮惠子萩尾望都*2山岸凉子らを中心に、男女の恋愛だけを描いた旧来の少女漫画から、少年同士の関係へと可能性を広げていった(少女漫画革命)。ヨーロッパの寄宿舎*3 を舞台とし、少年の容姿も名前も海外風だったため、日本の読者からすれば遠いおとぎ話 のような存在であったと推測される。当時はまだ少年愛専門誌はなかったが、水面下で男同士の関係に目覚めるファンが増えていく。

 「JUNE」は前述の「少年愛」の伝統を引き継ぐもので、1970年末から日本で初めて男性同士の恋愛をテーマとする女性向け雑誌『JUNE』(サン出版)が創刊された。傷ついた主人公が愛によって癒されるテイストの作品が多く、その退廃的でシリアスな作風から「耽美」と称されることもある。特筆すべきは、読者投稿コーナーが充実しており、「ジュネスト」(後の言葉でいうと「腐女子」)*4らのコミュニティとして機能していたことであろう。竹宮惠子中島梓*5が投稿作品を講評し、漫画家および小説家の育成も盛んに行われた。オリナル作品の掲載が中心であるが、海外のゲイ映画や同性愛文学の紹介、アニメからJUNE的関係を発見する試み、ゲイ雑誌『さぶ』(サン出版)とのコラボ企画など包括的な立ち位置であったことが想像される。

 1980年代頃から流行したやおいは『キャプテン翼』(高橋陽一)など漫画やアニメのキャラクターを用いたパロディ作品を指す。ストーリー性よりも自分が書きたいシーン(往々にして男同士の性描写)を優先して書くことから「山なし・落ちなし・意味なし」と自虐する伝統があった。日本では総称としての「やおい」表記はBLに取って代わられ*6、最早閲覧パスワード用の秘密の合言葉として機能するのみだが、現在でもやおい=二次創作」文化の人気は根強い。ありとあらゆるアニメや漫画、映画がパロディの題材になり得るので、その時代を象徴するような覇権ジャンルが常に誕生している。

 1990年代頃からボーイズラブ」「BL」の時代の到来となる。1991年に創刊された雑誌『イマージュ』(白夜書房)が表紙に「BOY'S LOVE♡ COMIC」というコピーを載せたのが契機とされる。男性同士の恋愛を扱う雑誌が増え、悲劇的な結末を迎えるものから明るくハッピーな学園ものへと人気の作風が移り変わっていった。
 大まかに言うと、少年愛から続く『JUNE』の流れと、「やおい」のアニメパロ同人誌の流れが融合したものが「BL」であり、人気を博した作家も一部被っている。ちなみに「BL」とは商業化の流れで生まれた言葉であるが、現在では二次創作や同人作品、創作BLもまとめて「BL」と呼ばれるようになったため、出版社から発行された一次創作を「商業BL」と呼んで区別する。

 表に出て来ないが「ナマモノ」というジャンルも時代を問わず存在する。ナマモノは実在する人物を題材にした男性同士の妄想のことで、対象とされる人物のセクシュアリティに関わらず行われるため、基本的にはかたく隠蔽されている。コンビ芸人に自作の同人誌を送る猛者もいたが、このような本人の目に入る行為は徹底的に忌避される。
 ちなみに俳優がBLドラマ・舞台の役を演じる場合や歴史上の人物をもとにした創作は、半ナマ(半分ナマモノ)という扱いになる。一見商業ルートに乗らないように思えるが、アイドル事務所でコンビ売りをしたり、実写BLドラマの演者が雑誌で特集を組まれたり、SNSで仲睦まじい様子を発信したり、ナマモノ好きの購買力は暗黙の了解として意識されている。ただし、公式から狙ってBL的な営業をされると逆に冷めてしまうファンもいるため加減が難しい。

 

3.BLという幻覚を生み出す共同体

 こうして現在BL*7文化はマンガ・小説・ゲーム・ドラマCD・実写映画やドラマ等々、様々なメディアミックスで市場を拡大し続けている。

 BLは商業同人問わず、書き手と読み手の大半が女性であり、ゲイカルチャーとは全く異なる道で発展してきた。なぜ女性が女性同士ではなく男性同士の恋愛を好むのかと問われたら、当事者ではない分「ファンタジー」として純粋に楽しめるからであろう。もちろんBLを読むゲイ当事者やヘテロ男性の例はいくらでも存在するが、基本的には女性にとって男性が他人事だからBLが現実逃避の手段たりえているのではないか。作中の女性への感情移入を強いられずに、自分は壁や床となってただひたすらカップルを見守れるのがBLの醍醐味と言う人も多い。BLの感想にしばしば「尊い*8 というオタク用語が登場するように、どこか手の届かないものとして神聖視する傾向があるのだと思う。

 BL愛好家(=オタク)たちは、表にはなかなか出せない腐った趣味嗜好という自覚から自らを「腐女子*9と名乗っていた。この「腐った」の部分は、男性同性愛に対してではなく、そういう関係ではないはずのキャラクター達を自分たちの妄想によって恋愛関係に捏造する後ろめたさを指している。要するに自虐である。公式に存在しない、もしくは矛盾する解釈がBL愛好家の間で流行することを「集団幻覚」と揶揄する風潮もある。

 とはいえ、BL好きではない「女性オタク」と「腐女子」が混合されてしまったり、第三者から蔑称として用いられたり、「腐女子」と「腐男子」を併記するくらいなら男女の別を失くしてはどうかということで、現在ではシンプルに「BL好き」や「BLオタク」などと呼ぶことが推奨される。

 私が「腐女子」を自認した2010年前後のBLといえばまだ若干アブノーマルで、アンダーグラウンドカルチャーとして仲間内で密かに楽しむ認識があった。しかし2020年代の現在、BLがエンタメジャンルの一つとして日の目を見るようになり、すそ野を広げてきたため「腐女子」というスティグマは疑問視され始めている。狭い身内の間でのみ通じていたスラングが、世間の目に晒され一般化されていく流れだと言えよう。

 

4.遊戯としての「BL読み」

 さて、BLオタクがBLオタクのために創作した、男同士の性愛ファンタジーとしてのBLが狭義のBLであるが、今回は同性愛文学やそう呼ばれていない作品をBL視することに挑戦したい。ジャンル「商業BL」に限らず、世の中はBLに満ち溢れている。

 東園子(2015)は二次創作BLをやおいと定義づけ、「やおいとは、原作に登場する男性キャラクター同士の関係を、恋愛のコードという一定のルールで解釈しあうゲームの産物といえよう。」(p.183)と述べている。もし精神分析の理論ならばエディプスコンプレックスに収束しがちなように、やおいの理論に依拠した解釈はつねに「彼は彼を愛している」 に着地するという。

 なぜBLが生まれるのかを問うのではない。そこにBLがあるという法則を共有したうえで、BL愛好家たちは原作から生み出した妄想を披露し合うのだ。男性間のホモソーシャリティによる親密さをセクシュアリティに読み替えたり、原作に存在する友情やライバル感情を根拠として恋愛に変換して遊ぶ。これが「やおい読み」 でありつまりところの「BL読み」である。

 よく「商業BL」は初めから出来上がった料理で、「やおい(二次創作)」は素材だけ用意されてあって自分なりの味付けで調理する過程を楽しむ行為だとたとえられる。こだわりの強さによって、それぞれのタイプがBLの解釈違いで喧嘩することもあるし、両方を好む層もいる。
 「BL読み」理論はBL愛好家たちのコミュニティに依存しており、閉鎖的な思想であるため、実際の同性愛にかすったり全くかすらなかったりする。

 


☆☆☆

この後も続くけど一旦カット!

BL読みの実践パートは気が向いた時にうpします…。
不定期BL自由研究シリーズ第1弾でした!


参考文献一覧。活かしきれず申し訳ないですが、読み物としても面白くて勉強になるのでぜひ読んでみてね~~!

東園子著『宝塚・やおい、愛の読み替え 女性とポピュラーカルチャーの社会学新曜社、 2015年。
イヴ・K・セジウィック著、上原早苗・亀澤美由紀訳『男同士の絆―イギリス文学とホモソーシャルな欲望―』名古屋大学出版会、2001年、原著1985年。
竹宮惠子著『少年の名はジルベール小学館、2016年。
中島梓著『タナトスの子供たち ─過剰適応の生態学筑摩書房、1998年。
西村マリ著『BLカルチャー論 ボーイズラブがわかる本』青弓社、2015年。
萩尾望都著『一度きりの大泉の話』河出書房新社、2021年。
堀あきこ・守如子編『BLの教科書』有斐閣、2020年。
溝口彰子著『BL進化論 ボーイズラブが社会を動かす』太田出版、2015年。



異論反論ばっちこいです!むしろ教えてください!
ご意見、ご感想ございましたらこちらまでお願いいたします。匿名です。

odaibako.net

 

*1:ゲイ文学は当事者が担う一方で、BLは異性愛者の女性の書き手が割合として大半である。それゆえBL小説の源流は森茉莉の『恋人たちの森』(1961)とする見方がある。

*2:萩尾自身は「少年愛」に対して増山・竹宮両者との熱量差を語っており、24組というカテゴリや少女漫画革命についても否定している。しかし作者本人が少年同士の恋愛を意図して描いていなくとも、多くの読者をBLへと続く道に誘ったのは事実としてある。

*3:竹宮惠子は『悲しみの天使』でジョルジュ役を勤めたフランシス・ラコンブラードから、『風と木の詩』のラコンブラード学院を名付けている。また、永遠の美少年ジルベールコクトーは、ジャン・コクトーと性が一致している。

*4:「ジュネスト」や「ヤオラー」と異なり、現在では商業BL(オリジナル)だろうと二次創作だろうと関係なく男性同士の恋愛が好きなら「腐女子」「BLオタク」とされる。

*5:栗本薫名義で『真夜中の天使』(1979)など広義のBL小説を盛んに発表。中島梓名義では雑誌『JUNE』の小説道場にて多くのBL作家を世に送り出し、BL評論でも重要な役割を果たした。

*6:英語圏などの一部のファンは、エロのない物語を「Shounen-ai」=「少年愛」、露骨な性表現を含むものを「Yaoi」=「ヤオイ」、中間的なもの「BL」「Boys Love」と呼んできた。他方、世界へ広まった当初、総称として使われていた「Yaoi」を今も用いるファンも多いが、今日の日本の呼び方を反映してか、現在は「BL」という総称が優勢だといえる。(p.95)
ジェームズ・ウェルカー(2020)「Column③ 海外におけるBL文化の広がりと海外の研究」『BLの教科書』有斐閣

*7:対義語として女性同士の関係を描いた「GL(ガールズラブ)」がある。男女の恋愛は「NL(ノーマルラブ)」と呼ばれていたが、異性愛をノーマルと呼ぶのは差別的ではないかと物議をかもし、現在では「男女カプ」や「TL(ティーンズラブ)」という表記を用いる動きが出ている。「ティーンズラブ」とは1990年代頃から存在した商業ジャンルの一つで、「ハーレクイン」「レディコミ」よりはやや若年層向けに男女の性愛を描く漫画である。

*8:尊い」の定義は人によるが、概ね素晴らしい、好き、最高、感謝といったプラスの誉め言葉である。「萌え」よりもさらに信仰の度合いが強い。

*9:腐女子」の派生語として、BL好きの男性を指す「腐男子」や、年齢が上の「貴腐人」などがある。ちなみにキャラ対自分の恋愛を妄想する女性は「夢女子」、女性同士の恋愛を好む女性は「百合女子」「姫女子」と呼ぶことがある。